【書庫、旅行記】   仏頭にまた出会って  他

修学旅行で行った奈良・京都を中心に書いてみました。 旅行記からの抜粋です。

他の職業の方に言わせると「何回も奈良・京都に行けていいね。」かもしれません。

そうかもしれませんね。でも集団行動の引率となると、結構‥‥‥。

いや、よしましょう。


仏頭にまた出会って 〜新しい発見    1992年4月

目に見えないところを          1993年4月

奈良京都は何回来ても新しい発見ができる 1996年4月

竜安寺でぼー              1997年5月


仏頭にまた出会って  

             新しい発見

1992年4月

 奈良京都にいくのは、これで7回目。そのたびに新しい事を見つけ、思います。 今回は仏頭でした。

 仏頭に初めて会ったのは私自身が中学1年入学式の学活の時、教室にパネルが飾ってありました。そのときは「なーんだこれ?」という思いでした。あれから奈良・京都には修学旅行や自分の旅行で6回ほど行き今回が7回目となりますが、今回、仏頭の後ろの損傷・・・その傷みが今までの記憶以上のものでありました。

 興福寺国宝館、仏頭は奥まったところに所に展示されており柵があるため、のびあがらないと頭の後ろはあまりよく見えません。造られた当時は当然の事ながら仏様の全身があったはずですが今は頭部しか残っておらず螺髪もほとんどとれてしまっています。更に(今回感じた)頭部の(おそらく炎であぶられ強い衝撃を受けたのでしょう)金属が沸騰し気泡ができ、ただれ、へこんだあとはすごいものでした。

 そして、それを見て仏頭に「幻滅」するより「感心」という思いでした。

 聞くところによると、幾多の戦乱に巻き込まれ、首に縄を巻き付けられ馬に乗った僧兵に引きずり回されたのではないかとの事。戦乱の炎にお堂を焼かれ、躯を焼かれ、損傷を受け・・・それでもなお、我々には微笑みを向けている。苦しかっただろうに・・・もしかしたら怒りに駆られる仕打ちを受けただろうに・・・。それでもなお・・・。

 仏頭の微笑みが以前感じた優しさ、穏やかさ、だけでなく・・・もしかしたらとんでもなく力強い者の証拠ではなかろうかと思いました。

 同じ所に何回も行けば普通飽きるはずなのに、その都度新しい発見ができる。嬉しい事です。

 帰りのバスの中で「○○をもうちょっとよく見たかった!くやしい!」とか言っている人がいました。また皆さんの旅行記の下書きを見せてもらいました。みんなしっかり見て、感じて、書いていますね。これなら大丈夫。またいつの日か、今度は自分で機会を作って見に行って下さい。多分、また新しいものを発見できるでしょう。

 物言わぬ仏像をひたむきに見る皆さんの目、思い出します。 それが宝。


目に見えないところを

 1993年4月

 薬師寺のお坊さんのお話に「昔の人は目に見えないところまできちんと作った。人もまたその様にありたいものだ。」というお話があった。

 なるほど。確かにその後の見学地で気をつけてみて見ると、とんでもない細かいところ、おそらくはその裏側まで丁寧に作ってある。彫刻をしてある。

 これでもやはり私の見たところは「目で見えるところ」であろう。「はたして当時の人はどのような思いでこの仏像を、建造物を作ったのであろうか。」そのような事を考えてみると結構奥深いものでる。結構楽しかった。

 おそらくこの形ある修学旅行を作り上げたかげには、3学年の生徒の皆さんの、先生方の、見えない力があったのだろうと思う。旅行学習、係活動、下見、計画、話し合い・・・等々。そして旅行当日も形あるものと共に形無きものも大いに見てきた事だろう。仏像、建造物の息吹、迫力、京言葉、古都の文化。

 形ある見えるおみやげや写真も大切に。それと共に形にはなっていないけれど、思い出、新しく知った友人の一面、得た力、団結、集団生活の力を大切に。それこそが皆さんが得た一番の宝であると思う。

 たしかに、このような仕事についている私には数回目の奈良京都であったが、今回も新しい発見ができた。新しく出会った生徒の皆さんと新しい会話ができた。だから旅は楽しい。だから旅はいいモンだ。

 いい旅をありがとう。


奈良京都は何回来ても新しい発見ができる

     1996年4月

 午前9時45分、タクシー見学に皆を送り出してから1時間と45分舞風館フロントの前にて教頭先生、学年主任のH先生と皆の安全を祈りながら待機する。3日間ともいい天気に恵まれた。宿の方も「いい天気の時にちょうど当てはまりましたね。」とおっしゃって下さる。

 マジカルバナナではないが「春の奈良京都」というと「修学旅行引率」。「修学旅行引率」というと団体行動、神経をすり減らす、あわただしいイメージしかなかったが、こんなにも安らかな京都があったのかと驚きである。

 奈良京都は何回来ても新しい発見ができる。

平等院入り口の来迎図

 みんなに「入れ入れ!」と入り口で勧めておいて、今度は自分が入れなくなってしまった。仕方なく入り口で生徒の頭越しに見れるものを見て我慢する。ふと説明してくれる方の声が聞こえる。「‥‥‥入り口の扉の所に描かれているものは、“来迎図(らいごうず)”で‥‥‥あとで出るときにでも見ていって下さい‥‥‥」そういえば私自身平等院には何回も来ているが、そう言われて一回も見ることはなかった。だいたい団体の引率の立場で扉の所でのんびりと立ち止まることなど出来はしない。今回はこの来迎図をじっくり眺めてきた。人が亡くなった家へ天国から仏様が音楽や舞を伴ってお迎えに来る図である。当時の人たちもまたこうして死の恐怖に立ち向かっていったのだろうか。そうして考えた理想郷、楽土をこの現世界に築こうと考えたのであろうか。金色に輝く建物、楽曲、舞‥‥‥今で言うならば、レーザー、シンセサイザーミュージック、ジュリアナトウキョウか‥‥‥しょうもない、罰当たりなことまで考えながら来迎図を眺めていた。私は当分お世話になるつもりはない。まだまだこの世でやりたい事がどっさりある。‥‥‥が、当時これを描いた人の気持ちの一端がわかるような気がした。

大仙院大覚寺。あれから15年たつのに和尚様のなんと若いこと。

 私自身の中学の修学旅行で尾関宗園和尚様の話を聞いてとてもよかったので今回もクラスのみんなに勧めたが、和尚さんもさぞかしお年を召されただろうな、と思っていた。正直言って和尚様本人のお話が始まっても「えらく若い‥‥‥やけに似たお弟子さんだなぁ」と思っていた。途中から「あ、この方だ!」と気がついたときの驚き。精神の生き生きとした若さが外見にも出るのだろうか。

 「今回の旅行で十分見てきた」という満足を味わった人や所。それはそれでいいものである。「いやまだ不十分、まだまだ見たい」と思う人や所。それも確かにその通りであろう。「世の中にはこんなものもあるよ‥‥‥」今回はそういう“目次”を見てきたのかもしれない。

 奈良京都は何回来ても新しい発見ができる。


竜安寺でぼー

      1997年5月

 旅行は毎回楽しい新発見がありいいものである。今回は竜安寺がそうであった。修学旅行に行く前、友人に竜安寺の話を聞き、たまたま副担任としてついたK先生のクラスのコースにあったので楽しみにしていた。ミステリーとしては「石庭の石をすべては見ることができない」というものがあるらしいがよくわからなかった。‥‥‥がそんなことはどうでもいい。という気分である。

 とにかく気に入った。この庭この空気この場。3時間でも4時間でも“ぼー”としていたいなぁというところである。観光客がどっさりいる有名な石庭から少し離れた、苔生した庭の縁側に6〜7名の生徒諸君と一緒に座り、“ぼー”としていた。「いいねーー。こういうところ。」と言いながら。

 修学旅行のいいところはたくさんある。友人たちと連続で数十時間行動を共にして、より仲良くなることができる。もう一つは「目次作り」である。たくさんの見学地を見てその中から“また来てみたい!”と思うところを一つ心の中に留めていればいいなぁと思う。

 私は今回の竜安寺を“また来てみたい所リスト”に加えたいと思う。

 いつの日かまたこの地を訪れてみたい。そして時間の許す限り「ぼーーーー」っとして過ごす。そのときは今回の生徒諸君との会話も思い出してみたい。


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