↓ページ下方もご覧下さい。手書きの中の抜粋を活字にしてあります。
坂本龍馬さんの生き方より
「龍馬伝説」といわれているものもある。いろいろな人によって坂本龍馬関連の論文、小説、映画、ビデオ、アニメ‥‥‥が書かれていく間に「本当の坂本龍馬」とはちがった「ヒーロー龍馬」が一人歩きし始めてしまったと。
「坂本龍馬はたいしたことはなかったんだ」とか「いや龍馬さんはスッゴイ人だったんだ。」とか歴史家、小説家、漫画家、竜馬ファンはいろいろな事を言うが、私の読み集めた資料の中で私なりに考えてみた。
「坂本龍馬さん」のことをどういう呼び方にするか‥‥‥ということも、私はご覧の通りにさせていただく。
歴史上の人物、研究対象として“呼び捨て”もしたくないし、かといって「○○先生」も「え??」という気がする。
「なれなれしい(-_-メ」と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、許していただきたい。
右手:北振一刀流の使い手だったという。
小千葉道場では塾頭もやっていた。言葉だけでなく、剣の実力もあった。
剣道の達人→しかし当時の維新志士達が暗殺だ天誅だと血なまぐさいこともしていたのに龍馬さんはカラッと晴れている。人を殺すことなく維新を成し遂げようとした。それは大政奉還を成し遂げてしまった事にも言える。
坂本龍馬さんの仲立ちによって薩摩と長州は手を結んだ。
(その前は犬猿の仲だったという、そして薩摩も長州も幕府にイジメられ落ち込んでいた)
しかし龍馬さんが仲立ちをして「薩摩長州連合」を作ってしまった。
これによって幕府をも上回る一大勢力となった薩摩長州連合は「よーしこの勢いで、幕府をぶっ潰せぇ」と武力革命をしようとした。朝廷に『武力で幕府をつぶしなさい』という命令を言わせようとしていた。
ところが坂本龍馬さんは「日本国内で流血騒ぎを起こしていたら西洋の諸外国に日本は乗っ取られてしまう。日本人同士ケンカをしているどころではないぜよ!」といろいろな人と話しをしてついに大政奉還をさせてしまった。徳川慶喜に『日本国の政治の権利を天皇にお返しします』と言わせてしまった。そう言われちゃぁ朝廷も『武力で幕府をつぶしなさい』なんて言えない。
無血革命である。
問題:「なぜふところに手を入れているのか。ふところの中で何かを持っているのだろうか?」
1、高杉晋作にもらったピストルを持っている
2、新しい法律の本、万国公法を持っている
3、以前、寺田屋に泊まっていたとき、幕府見回り組に襲われ右手親指に大けがをしてしまった。その傷をかくしている。
サァどれでしょう?
私はもう一つの答えが気に入っている。
4、当時のナポレオンとかの肖像画が手をチョッキのところから中に入れている。そういった西洋の肖像画を見た龍馬さんはまねをした。かっこつけ野郎である。
船:当時の最先端技術、黒船を大いに利用した。
いまで言う飛行機か‥‥‥いや異星人の持ち込んだフライングマシンかもしれない。
その扱い方を勝海舟のもと勉強し、更にはそれを利用した海運会社(亀山社中:海援隊)を作ってしまう。ただの海運会社ではない。これは秘密だが「いざというときは海軍に変身する。」という事も可能性として考えていたという。更にこの会社、英語のテキストの出版まで手をのばしていた。
目:近視だったのかもしれない。
桂浜の像は目を細め、太平洋の彼方に夢をめぐらせているように見える。
龍馬記念館には、ガラス張りの「太平洋を見る部屋」があった。「海」しかない。そこには。
口:そんなにおしゃべりではなかったらしい。
普段はヌボーっとしたもの静かな「牛のような大男」だったという。
脇差し(小刀):刀剣コレクションが趣味だったらしい。
父親から「諸道具に心奪われ浪費をしたりしないこと」などと注意をされたりしている。
有名な「台に寄りかかっている写真」の脇差しの差し方も正しい差し方ではない。(桂浜の像の方は正しい差し方に直されている。)本来は脇差しの鞘は袴の中に入ってしまい、見えないはずである。しかし写真では鞘は帯にさしてあるだけで刀全体がとてもよく見える。
わざと写真に写るような差し方をしている
足:ブーツを履いている。
研究者によっては写真から「当時のアメリカの何というメーカーのブーツであろう」ということもわかっているらしい。
龍馬さんは幕府からも故郷の土佐藩からもお尋ね者となり結構、走り回らなければならなかった。そのために、わらじよりブーツの方がずっと便利だっただろうと言う。
それにしても龍馬さんはよく動いた。行動家である。
高知県桂浜にできた坂本龍馬記念館の一室に、大きな日本地図とデジタルカウンターが並べて展示されている。デジタルカウンターには龍馬さんの年齢が表示されそれと共に日本地図の都市に埋め込まれたランプが光る。「何歳の時にはこの都市を訪れていた」ということを見せてくれている。最後なんかすごい勢いで日本各地のランプが移動する。あっちの人こっちの人たっくさんの人と会ってお話をしたらしい。
まとめ:
龍馬さんはスゴイ人である。しかしガチガチの真面目人間ではない。新しいモノ好きのカッコつけのとても人間くさい人で、友人や奥さんを大切にして、行動家で‥‥‥人間くさくて‥‥‥やはりスゴイ人である。
参考文献
竜馬がゆく 司馬遼太郎(文芸春秋)
おーい竜馬 小山ゆう、武田鉄矢(小学館)
坂本龍馬と刀剣 小美濃清明(新人物往来社)
坂本龍馬のすべて 平尾道雄(新人物往来社)
竜馬新聞
坂本龍馬日記
高知県立坂本龍馬記念館(高知市浦戸城山830、0888-41-0001)
追記;まだ整理してありませんが上記まとめの紙を書くときの下書きより。
行動力
当時薩摩と長州が手を結べば幕府をも上回る強力な勢力になることはわかっていた。現在で言えば「アメリカと北朝鮮、中東諸国が手を結べばかなり世界は平和になる。」ということである。
利益を持ってくっつけた。最後には情を持って結びあわせた。
「この男の背骨はバネでできているらしい。」
司馬遼太郎“龍馬がゆく”の一説である。
経済的裏付け
当時の維新志士達は金がない(そりゃそうである。)いくら世のため、世直しのためと言っても、何か生産しているわけではない。給料は出ない。
@仕送りをしてもらう
A強盗まがいの事をやる
‥‥‥と言うことも多々あったようである。
特にAは罪もない一般市民をも巻き込んだ、それもあって警察機構「新撰組」も作られたということである。(この話しはとても難しい)
龍馬さん‥‥‥どうしたか?
B龍馬さん:なんと海運会社を作ってしまう。(日本初の株式会社)
脱藩
当時の他の志士達は「日本国を変えるにはまず自分の所属している藩(いまでいう地方自治体;県庁)を変えそのバックアップのもと活動しよう!」とした。
それで最終的にうまく行った人もいる。(高杉晋作、桂小五郎)失敗して処刑されてしまった人もいる人もいる。(武市瑞山ほかたくさん)
龍馬さんは早々に脱藩してしまった。いまで言う国外逃亡である。実は犯罪である。(身分の低い者が勝手にお殿様のところを見限るのか?!とすごい重罪だった)現在のパスポートにも「この持ち主は日本人;山田太郎だよ。海外で困っていたら助けてあげてね。日本国政府より。はんこ!!」というような文章がのっている。それなくして海外に行くようなものである。
高知県への旅行(長野県より)
高知県桂浜を訪ねたことがある‥‥‥信州(長野県)からはとても遠いところである。
1日目
早朝、長野発→名古屋まで特急→
岡山まで新幹線→
ディーゼルエンジンの列車で瀬戸内海を渡る。
島から島へ飛び石の様にかけられた橋を次々と渡っていた→
四国の南高知市に午後3時頃着。→
まず駅の横の観光案内所で宿を紹介していただいてから、バスで桂浜へ向かう。龍馬さんの像と龍馬博物館を見る。
お土産やさんで、55cm程の龍馬さんの像を買って持って帰ろうとしたら、私のリュック姿を見て宅急便を勧めて下さった。(後日自宅に送られてきた1m近くの宅急便の段ボール箱を見てびっくりした。発泡スチロールの詰め物等を入れ
二重に梱包して下さった。ありがとうございました。)
夕御飯は路面電車で市街にでて「鰹のたたき」をいただいた。とても美味しい。
2日目
バスで高知市周辺の龍馬さんの生家跡、いくつかの博物館、高知城等をまわる。(生家近くの電話ボックスの上に龍馬さんの胸像がついていた。蝋人形はリアルであった。)
夕方曇り空の高知空港から飛行機で名古屋へ→JR名古屋駅で深夜零時まで列車を待つ。深夜零時、寝台車で長野に向かう。
3日目
朝5:00長野駅着。一日寝ていた。
2泊2日で行ってきた。坂本龍馬さんゆかりのものに触れてきたいということだけで。我ながらよく行ったものである。またもう一度、今度はゆとりを持って高知を訪ねたい。
バスの運転手さん、旅館の方、お土産やさん、博物館の職員の方‥‥‥たくさんの方にお世話になりました。ありがとうございました。