鋳造体験教室 2

青銅鏡作り2000年12月9日

鋳造体験記2」より抜粋


青銅鏡‥‥‥歴史の本に時々のっている青銅鏡を見てみると緑青のふいた銅板にしか見えず「これが何故“鏡”なんだ?」と思ってしまいます。
しかし、そのもう一方の面は磨かれ鏡のようになっていたと言われます。
今回その青銅鏡を長野県松本市の「(有)コバヤシ造形堂」さんに教えていただきながら作ってみました。

下の図の右が今回作った青銅鏡。そして右がその砂型を作るためのプラスチック型です。
(fig.1)

こうして作ってみると、作られた当時は黄金色に輝いていたことがわかります。

下の図は左が青銅鏡の裏面、右がプラスチック型の裏面です。
(fig.2)

 


青銅という金属について

青銅:銅(Cu)と錫(Sn)の合金
今日の日常生活の中ではなかなか見られませんが、青銅器時代、銅鐸(どうたく)、銅矛(どうほこ)等は有名です。
古来、美術品や貨幣に使われてきました。

砲金(ほうきん):銅90%錫10%の青銅は砲金と呼ばれ、鋳造が簡単で、磨耗や腐食に耐え、靱性に富むが引っ張り強さには弱い。機械の軸受、腐食を嫌う部品、に使われ、かつては大砲の砲身としても使われたそうです。(辞書より)
現在の砲金はここに更に亜鉛を加え、強度や切削性を高めています。(2001年4月竹内合金さんより)


燐青銅(りんせいどう):少量の燐を含む青銅。船舶のプロペラ、ポンプ、軸受、小型のバネ、電気通信機器などに使われる。

私は真鍮の加工の方がなれていますが‥‥‥
真鍮に比べると青銅は以下のように感じます。
・磨いたときが美しい。うまく言えないのだが、真鍮よりも澄んだ深みのある鏡ができる。
・硬い、角を面取りをしようとして荒目のヤスリを使ったら黒曜石のやじりのように剥離してしまった。
・硬い、もろい!!端材をドリルで穴を開けていたらそのうちに割れてしまった。
・青い‥‥‥‥‥気がする。なんとなく。

おまけ
黄銅(おうどう):銅(Cu)と亜鉛(Zn)の合金
真鍮(しんちゅう)ともいう。切断、切削、穴あけがしやすい。
文鎮、バックル、南京錠、等の材料になる。五円玉もこれに近いのでしょうか?

洋白(ようはく):銅とニッケルと亜鉛の合金
100円玉、50円玉、旧500円玉はこれに近い金属だと聞きます。
他、楽器フルートなども作られることがあります。


青銅鏡作り

まず鋳型を作ります。
68mm直径の白黒の図をフェルトペンであらかじめ紙に書いていきました。
まず紙の上でフェルトペン等を使い、原画を描きます。

(デザイン上の注意は鋳造体験記11をご覧下さい)

私はスカラベ部分はフェルトペンで描き、Kefi Pallhkariの部分はコンピュータの作図ソフトの中のいろいろな字のフォントの中からギリシャ文字を選び使いました。それを糊とはさみを使い白い紙に張り付けます。
それをスキャナで取り込み、ペイントツールで円を書き加えます。

(fig.3)


その後白黒を反転させプリンとアウト。
それをコピー機で0.1mm厚のOHPシートにうつします。
(またはレーザープリンターで直接OHPシートにプリンとアウト)

(fig.4)


そのOHPシートを感光樹脂板に重ね、それらがずれないようにベニア板と透明アクリル板ではさみ、クランプで固定して日光にさらすこと約4分
これで感光樹脂板の日光が当たった所のみ硬く変質します。

それを流水の下でたわしで洗うと‥‥‥結果、
私が紙の上で黒く書いたところが→
コンピュータで白く反転し→
OHPシートで透明になり→
感光樹脂板に日光が当たり
感光樹脂板が硬く変質し→
水を浸したスポンジにハンコの様に上からトントンとたたくようにして洗うと
凸に盛り上がるわけです。

もともとはこの感光樹脂板、ハンコやさんの為に開発されたそうですが強度面がもう一つほしいところで今はあまり使われていないもののようです。

こうして出来たものをあらかじめ用意していただいた樹脂(ポリライト)製の直径68mmの円錐台の上にゴム系ボンドで貼り付け型の出来上がりです。

(fig.5)

 

@左上
フェルトペンで描いた原画

B右上
感光樹脂板に日光を当て作った
プラスチックの型

A左下
コンピュータ処理をし
OHPシートにうつしたネガ

C右下
完成した青銅鏡

(fig.6)


砂型の製作

先程作った樹脂の型を砂に埋めます。
塩ビパイプの輪切りの中に樹脂の型と湯口の型(木製の四角錐台)を置き、「特殊な砂+硬化溶液+硬化剤」を混ぜ手早くかき混ぜた砂を入れます。
樹脂の凹部にしっかり入るように木の板と木槌で叩いたり、鋼尺で擦り切りをしたりしました。

同じ要領で砂型の蓋の部分を作ります。

こうして30分以上放置し砂が固まるのを待ち枠をはずしてから、湯口の型と樹脂製の私の作った型を木ねじ等を使って抜きます(ドキドキ‥‥‥@)

 

そこに砂やボンドが入らないように注意しながら砂型の蓋の部分を耐熱性のボンドで貼りつけます。
中に先ほどの原型の形の空間が出来ました。


青銅流し込み
写真は青銅を流し込むときの様子を後で再現したものですが、砂の型を30分ほど乾燥させ、いよいよ青銅の流し込みです。


(fig.7)

コークスに点火し‥‥‥、これがなかなか火がつかない!のですが「K堂」さんはあっという間に点火してしまいました。

轟々と燃えさかる火の中で熔解用るつぼを熱しておき、そこにまず錫を入れます
錫の融点は理科年表によると約232℃ 私は以前このコークスの炎の中で刃物の焼き入れをしたことがありますが焼き入れ温度が約680℃。錫は充分融けるわけです。しかし銅の融点は約1085℃。はたして融けるのだろうかと思いましたが、液体になった錫に銅がとけるのです。
(この場合「融ける」「溶ける」どちらの漢字を使うか迷ってしまう。)
融点降下という言葉は知っていてもこれが不思議な現象。

真っ赤な“るつぼ”に向かって、折り曲げた鉄板の上に小豆大の錫の粒を乗せ滑らせ入れます。

錫が充分融けたところで、銅を入れます
例の折り曲げた鉄板の上に空豆大の銅の粒を乗せ、錫が融けた「透明な真っ赤な液体(何と表現したらいいのかわかりませんがとても綺麗です)」にザラザラと入れます。

しばらくし、銅が完全に融けたところで燐青銅(米一粒分)また例の鉄板使い滑らせて入れます
なんだか錬金術士、魔法使いの気分。
燐青銅はすぐ融け、映画「ターミネーター2」のラストシーンの様に液体金属が激しく対流する様子が見えます。(この激しく対流:かき混ぜることが目的らしい)金属が本当に生きているような錯覚をおぼえます。夕闇の中真っ赤にキラキラ輝き、先程も書きましたが透明感もあります。火トカゲ;サラマンダーの伝説もこのようなものを見て生まれたのでしょうか。

その“るつぼ”を専用の“るつぼバサミ”ではさみコークスの炎の中から出します。その時右手(利き手)は軍手の上に更に皮の手袋をしてるつぼ側をガッシリと持ち左手は軍手のみでるつぼバサミを持ち液体の金属が「クツクツ」言うのを感じます。ギリギリまで冷やすのですが、最初は「クツクツクツクツ」と言っていたのが次第に間隔が長くなり「クツ‥‥‥クツ‥‥‥」の間隔が15秒〜20秒になったときに型に流し込みました。このタイミングも何回か体験してつかむものらしいです。

一番ドキドキするところ。
先程の「ドキドキ@」もかなりのものでしたが、この流し込みは、手早く動く時間と、正確さと、もちろん安全面と‥‥‥そしてどうしようもない「見えない砂型の中でうまくいってくれ!」の祈りと、たくさんのものが入り交じったドキドキでした。
12月の夕方、炎と融けた金属と光を受け顔と目が熱いです。そして‥‥‥何故か頭も熱く、るつぼから真っ赤な液体が砂型の中に入っていくのを夢の中のように見ていました。からになったるつぼは急速に冷え透明な赤だったのが、もとの黒鉛の黒に戻ります。竹取物語に出てくる「何とかの鉢」というのは日に透かすと燦然と輝くそうです。こんな様なものなのかなぁと思いました。
コークスの送風機も止められ今までの“興奮と熱さ”は何処へやら。急速に静まり返っていきます。


(fig.8)

砂型の湯口の方も透明な赤だった金属がやがて赤黒く変色し、そして見慣れた黒金色に変わっていきます。すぐ取りだしてみたい誘惑もありますが我慢我慢。
30分ほど自然に冷まします。その間に使った工具の整理と掃除。

30分後、今まで、文字通り「ワレモノ注意」で扱ってきた砂型の接着面をマイナスドライバーで割ります。私は後でこの写真も撮りたかったので丁寧に丁寧に。それでも「割ってしまっていいのかな。」の思いがよぎります。

できた!!


磨き

この後は、いつもやっていること(‥‥‥でもなかった)。
弓鋸で「湯口のあと」を切り、切り口をベルトサンダーで削り、バリも取り、鏡面を仕上げていきます。ベルトサンダーから始まり、6枚の耐水サンドペーパーの番数(#2000等)をあげていき、ザラザラの砂の表面そのものの状態をスリガラスの様に仕上げます。いつも何げなく円を描くように擦っていたのが、「(有)コバヤシ造形堂」さんの指導で「直線の動きで100回擦ったら、キッチリ青銅鏡を90度回し100回擦る」という方法で。こうすると平面に仕上がっていくとのことです。

最後にピカールという研磨剤(クリーム状の金属磨き。大工センターに売っています。成分は研磨剤+オイル+脂肪酸。これで石油ストーブの反射板を磨くととてもいいです。)‥‥‥で磨き、それを拭き取ると‥‥‥


(fig.9)


古代の人々もこのような鏡を見たのでしょうか。
私は今まで真鍮や硬鋼、軟鋼でも同様の事をしたことがありますが、今回の青銅は深みのあるそれでいてクリアーな鏡が出来上がりました。
私たちが現代使っている、ガラスの鏡は「ガラスと空気の境」と「ガラスの裏の塗装面」の2ヶ所で反射します。そのため厳密には二重の像を見ているわけです。
しかしこの青銅鏡は「金属と空気の境界面」ただ一ヶ所で反射しクッキリとした像ができます。
それと青銅が黄銅等と違う何かを持っているのかもしれません。
そして更に「これだけ苦労して磨き上げたんだから‥‥‥」の私の思いが、ひいき目に影響しているのかもしれません。

「青銅鏡は古代においてこのような輝きを持っていたのか」‥‥‥と思うと驚きです。また当時においてもこのような輝く、世界がうつる円盤は大きな驚きだったかと思います。権威、神秘、権力、の象徴として扱われていたことも充分考えられます。

「磨き上げる」ということ
生徒にもよく言われます。「先生、本当に“磨き上げる”って違うんだね。」と。それに対し「知ったような“ナマ”言っているんじゃないよ」と言いかけ、その生徒の手の中にある作品をみて思わず言葉を飲み込みます。
真っ黒になった研磨剤のついたぼろ布の中にあるのは「小宇宙」。
その作品はまわりの景色をクッキリとうつしだしています。
「すごいなぁ!よくここまで磨いたねぇ!!」

本当に手間をかけ磨き上げたものは違います。
そこに「ごまかし」はほとんど効きません。もし「効く」としたならばそれは新たなる「工夫」と言ってもいいようなものです。

技術の授業でも切断や組立の場面でやむを得ず欠席する生徒がいても、その生徒の作品はやろうと思えば友人が手伝い、あるいは私が機械を駆使して手伝い何とか他の生徒に追いつくことは可能です。しかし磨きの場面はどうしようもありません。

「仏師が急いで3日で作り上げた仏像にはどうしても3日分のノミのあとしか残らない。3ヶ月で作り上げた仏像には3ヶ月分のノミのあとが残る。」というような事を聞いたことがあります。それに近いかなと思います。



あと、(有)コバヤシ造形堂さんからの受け売りですが、「『一応完成はしたけれど、これからまだまだよくなる可能性がある。』‥‥‥というのはいいなぁ。」と思います。
一概に言えませんがそれでも‥‥‥ベニア板の作品、アルミ薄板の作品は比較的「出来上がりはピシッとしているけれど、あとは朽ちていくだけ」となりがちです。
それに対して無垢の木の作品、真鍮の削りだし、今回の鋳造作品は「出来上がりもしっかりしているし、使っていくうちに、まだまだ磨き上げていくうちにもっといいものに仕上がる、風格を増していく」可能性があります。
手前味噌ですが、毎日使っている文鎮、バックルは毎日擦れ磨かれる所は信州善光寺にいらっしゃる“びんずる様”のように輝きが増し、そうでないところには茶色の酸化皮膜ができてきたように思います。

青銅鏡‥‥‥一応、「完成!」しかしこれから機会ある毎に磨いていって、長い時間をかけ「真の完成!!!」に近づけていきたいと思います。

(fig.10)


追伸‥‥‥


千年、二千年後この青銅鏡はどうなるのでしょうか?
条件がそろえば二千年後も存在しているはず。その可能性は充分あります。
その時、その時代の人は何を思うだろう。


‥‥‥そんなことを考えると、とても楽しいです。



Jan.5,2000 初版
Sep.17,2002 最終更新

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